【第39話】 大阪星光学院

下駄を鳴らして奴が来る 腰に手ぬぐいぶらさげて

学生服にしみ込んだ 男の臭いがやって来る

アー夢よ 良き友よ おまえ今頃どの空の下で

俺と同じあの星みつめて何想う

アー友と 良き酒を 時を憂いて飲みあかしたい

今も昔もこの酒つげば心地よし♪ (『我が良き友よ』 より)

 

  25年3月3日、『大阪星光学院・医師の会』の発足式および総会と懇親会が開かれました。
「大阪星光学院高等学校を卒業し、医師になった者達で集まり、一致団結しよう」との21期の肱岡泰三先生の呼びかけに300人近い先生方が、母校の体育館に集結しました。

その成果はともかく、なんせ学友と30年ぶりの再会です。めちゃめちゃ懐かしかったです。

 まず、井澤一隆先生(国立刀根山病院・整形外科)が声をかけてくれました。スクワットの回数を毎日競った間柄だというのに彼がダンディ過ぎて、最初全くわかりませんでした。そして、我らが生徒会長・松岡翼先生は、すぐにわかりました。相変わらずデカい。彼はまさに『気は優しくて力持ち』を絵に描いたような男です。童顔だった篠崎一哉先生とも歓喜の握手を交わしました。隣に写っているミスター・サッカー部の根来伸行先生は茨木市で循環器内科を開業しており、現在も患者さんを紹介し合っています。小学校からサッカーをしていた私でしたが、練習熱心な彼に追い抜かれて悔しくてサッカー部を去ることにし、もともとブルース・リーへの憧れが強かったので、中学2年生の秋、空手家に転向したのでした。

 西池季隆先生は学年でトップの優等生、現在大阪労災病院の耳鼻咽喉科の部長ですが、大阪大学の医局を代表する大エース的存在です。整形在宅クリニックという新しい開業形態で地域医療に貢献し、成功している加藤泰司先生と寝屋川市医師会の理事を務めているという伊藤彰彦先生も一緒に写ってくれました。

 懐かしい母校のグラウンドにも降り立ちました。上の写真は、箕面市立病院・形成外科部長の桑江克樹先生が撮ってくれました。さらに彼は「今中、あそこの壁、覚えているか?」といわくありげに語りかけて来ました。よく覚えていないと返事すると、「お前が俺に『三角蹴り』を見せてくれた場所や」と言うのです。後に大阪大学に進学する優等生に、マス大山(極真空手総帥)が編み出した『三角蹴り』をお見舞いしただなんて(汗)。しかも、有難いことに「結構凄まじい威力だった」と振り返ってくれました。当時、井澤先生と一緒に鍛えたおかげで、私は50mを6秒3で走れましたから、そんな秘技も朝飯前だったのかも知れません。

「せっかくの機会だから29期生で集まろう」と加藤先生が二次会を手配してくれました。そこで、難波の『がんこ本店』まで、四天王寺前夕陽ヶ丘にある母校からぶらぶらと男6人で歩いて行くことになりました。
途中、私の申し出で、ワインショップの『ワッシーズ』へ立ち寄りました。私がお買い得なワインをまとめ買いしていると亀井滋先生が「(一番子供っぽかった)今中がワインを『大人買い』するようになるとはなあ」と感激(?)してくれました。桑江先生に、「俺になんか、ええワインを選んでくれんかな」と言われ、レオナルド・ダ・ヴィンチが生誕した村で作られたという『ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ』を推薦しました。
もともと私の大好きな銘柄であるうえに、特価で半額だったのです。

 二次会には、恩師・平松弘之先生がご参加くださり、元気なお姿を拝謁することが出来ました。また、笑顔の素敵な中村義行先生と二宮俊明先生も加わり、楽しい会となりました。

 30年も経つのに、「今中、知っているか?俺はたった2点の差で灘高に落ちたから、星光に来たんやぞ」などとお茶目なことを言い続ける二宮先生。肝臓がご専門だからか、ヒレ酒を水のように何杯も飲み干しておられました。さすが現役で、神戸大学に進んだエリートは違います。「俺が神戸大学医学部に合格して、嬉しくてお前と長電話していたら、隣からお前の親父に『長電話はやめろ』と怒鳴られたんや。しつけの厳しい家やなと感心したわ」とか「俺は、今中の試験前の資料集めの巧みさには舌を巻いとってん。こいつ、いろんな奴からノートを借りて、ええとこ取りしよんねん」と何もかも昨日のことのように語ってくれるではありませんか。「あのな、加藤に初めて彼女が出来た時の話やけどな」などと饒舌極まりない話っぷりに聞き惚れてしまいました。

 と、いうわけで、めちゃめちゃ懐かしかったです。嬉しかったです。なのに今頃、ブログに掲載です。