9月24日、大阪市・北浜のフレンチレストラン『エッサンシェル』で、牧本一男先生の喜寿をお祝いする会が行われました。案内状が届いた時は、「割烹じゃなくて、フレンチ?マジで?」と思いましたが、元ル・コントワール・ブノワ大阪のエグゼクティブシェフをされていた大東シェフが作る繊細で美しい料理は、まさにフランス料理と日本料理のマリアージュ。日本の職人が作る器に盛り込み、和の趣きさえ漂う料理を、カウンタースタイルで、割烹のように少量多種で提供されたのでした。これには参加者11名、感嘆の声の連続でした。

メニュー花束

昭和60年から大阪医科大学の助教授をしておられた牧本先生は、医局の奥の助教授室で、いつも机に向かって、本を読んでおられたり、書き物をされていて、平成2年に入局した私の目には、まさに「医師の鏡」として映りました。しかも、私達研修医を時々、お昼休みなどにそのお部屋でのお茶会にお招き下さり、医師としての心得えなどを優しく教えて下さいました。また、手術記録を書くと必ず自筆で丁寧に添削して下さるなど、本当に有難いご指導を頂きました。

福瀬先生

私の生れて初めての学会発表は、平成3年6月28日、東京の明治記念会館で行われた第12回日本頭頸部腫瘍学会においてでした。「シスプラチン少量動注と放射線治療の併用療法」についての報告をしたのですが、通常、大阪地方部会などでデビューするものが、いきなり全国学会であったために、私は大変緊張しました。しかし、発表の準備は当然のこと、当日の質問対策まで、実に手厚くご指導頂き、無事終えることができました。このようなことが重なり、私は牧本先生のもとで頭頸部外科医を目指すことになったのです。頭頸部癌の手術には再建を要するものがあり、朝9時から連続で10時間以上手術を続けることがありました。やる気はあるものの、さすがに空腹はこたえます。「先生はおなかが減らないのですか?」質問したところ、鹿児島出身の牧本先生は秘密の栄養食「あくまき」を食べておられたことが判明しました。薩摩藩が関ヶ原の戦いで、西郷隆盛が西南戦争で、日持ちする兵糧として重宝した食品で、食べやすく、とても腹持ちが良いのです。というわけで、長時間手術の際の私の「勝負メシ」となりました。今頃、皆様にも公表致します。

あくまき

平成9年に診療教授に昇進され、平成14年に退職されるまで、人格者であるうえに、面倒見の良いお人柄で、全ての医局員に愛されました。同期の野中隆三郎君の奥さんが不遜にも「マッキ―」とあだ名をつけてから、なおさら親しく感じました。学会ではいつも夜遅くまでお酒をご馳走して下さり、酔って一緒に千鳥足でホテルに辿り着いたら、私の分まで宿代を払っておられ、翌日お話すると、「覚えていないから返さなくても良い」とおっしゃられたこともありました。どんなに飲んでも、いつも次の日、朝一番の群から聴講しておられました。「先生、勉強熱心で、偉いですね」と声をかけると「いえいえ、罪滅ぼしです」とおっしゃっていました。今回、晴れがましくお祝いをされたことを随分恐縮しておられ、過分なお土産まで頂きました。また、私個人にも心に残る温かいお言葉とアドバイスを頂きました。

びいどろ

幹事の金井龍一先生、ご苦労様でした。本山壮一先生、素敵なお店にお招き頂き、有難うございました。

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